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直貴に更新率の悪さを指摘され、気付けば一ヶ月も更新していませんでした…。 見にきてくださっている方、ごめんなさい。 書きたいんじゃけどなかなか…は言い訳ですね。 そんな訳で(どんな訳で?) 今日は直貴の事を始め、次郎丸における同級生について語りたいと思います。 俺は小学5年生から次郎丸の一員に加入させていただきました。 その時には、伸ちゃんという同い年の仲間がいました。 6年生の夏、ゆーきという仲間が増えました。これも同い年。 伸ちゃんは身長が高くイケメンで、ステージの度に褒められてて、俺とゆーきは羨ましがってたのを思い出します(´・ω・`) 中学に入りると部活が忙しくなり…。 ゆーきも伸ちゃんも、なかなか来なくなりました。 中2になる頃には、2人とも長期休みに入りました(/ _ ; ) そんなこんなで中2の秋! 松賀中の文化祭での演奏依頼が来たと同時に、そこの生徒会長が次郎丸メンバーに入るという話が!! 余談ですが、この時自分の中学は生徒会長が女の子だったため、勝手に女の子の同い年が入ると思ってました(#^.^#)いやん そして直貴が初めて稽古に来た時、話せませんでした( ´ ▽ ` ) 次も話せませんでした。 …俺は別に人見知りじゃないですが、何故か話すタイミングがなかったという。 そして何回めかの稽古で、トイレに行く途中でばったり会い、 トイレ前の通路が電気付いてなくて真っ暗で、 俺「暗いねー」 直貴「暗いねー」 これが直貴との初めての会話です。 …なんで覚えとんだろう。 直貴と一緒に、和也と恭平という同い年の仲間も入って来ました。 和也はテニスが上手でスタミナ十分、恭平は吹奏楽部ながら凄くいいガタイをしていました。 そして年は行き過ぎ、中3の冬。 また2人、松賀繋がりでしょーやと貴人という同い年のメンバーが増えました。 受験の結果、俺、和也、直貴の三人は、旧中央公民館から近い賀茂高校に進学。 なんやかんやあり、 高校生になってしばらくすると、稽古に来る平成6年生まれは賀茂の三人だけになってしまいました。 俺は、常に同い年の仲間がメンバーの中にいました。 次郎丸に入らせて頂いて8年目になりますが、辞めずに続けられたのは、同級生のメンバーが居たことが大きな理由だと思います。 もちろん他の理由もありますが。 俺は幸せだと、つくづく感じます。 ほんと、恵まれています。 今は来ていなくても、一緒に太鼓を打った同輩たちに。 ありがとう。 そして次郎丸メンバー、また関わってくださったり、応援してくださるすべての人に感謝。 ありがとうございます。 感謝は忘れちゃなりませんね。 最後に直貴ちゃんの事を少し。 直貴は普段は穏やかで、太鼓を打つときは目が変わるんです。 中国大会に行く実力を持った吹奏楽部の部長という、素晴らしい技術を持っています。 リズムの正確さは負けを認めます。 覇気はまだまだ負ける気がしませんが♪ でも… 何十年か後は、直貴が次郎丸のリーダーになっていて欲しいと思います。 俺も辞める気はありませんが、 そんな未来が一番しっくり来る。 まぁまだまだ若いけ、お互い助け合って頑張りまっせ! 次郎丸を引っ張っていくのは俺らじゃあ~~~! 長々と失礼しました。 PR |
東京にいってきました。 学校の研修旅行です。 修学旅行と一緒です。 日本の最先端って感じで、ここで次郎丸を有名に出来れば良いのに…と感じました。 まぁ、そのような技術はまだまだないでしょうけど。 技術というか…気の持ちようですかね? 日が変わってしまいましたが、 10月24日。 30周年記念コンサートから二年が経ちました。 あのコンサートを体験してから この二年、確実に成長できとるとこも有れば、全く成長してない部分も。 あの感動は今でもはっきり覚えています。 去年も言いましたが、あの感動はどこ?って感じです。 今が全然ダメだと言うわけではないけど、35周年と言う目標がまだ遠いのでモチベーションが高まってないのか… 誰が、ではなく全体的に。 3年なんてあっという間なのにね(^^;; ってか。 大きな目標がないと頑張れないようにはなりたくないと思うのです。。。 30周年も35周年も、節目のコンサートであって、日頃の成果を披露する場だと思う。 そん時だけ頑張るとかじゃ、本領は発揮出来んはず。 次郎丸の歴史はまた一つ重なった! いつまでもぬるま湯には浸かってられませんぜ。 |
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